「こども誰でも通園制度」2026年4月に全国すべての自治体で開始

2026年4月から、こども家庭庁の「こども誰でも通園制度」が全国で本格実施されています。保護者の就労の有無を問わず、生後6か月から満3歳未満の子どもが、月一定時間まで保育所等を利用できるしくみです。

最新2021年統計(第16回出生動向基本調査)で、第一子出産前後で4割強の人が無職・出産退職となっています。保育園=就労している人というイメージが強いので、多くの人に「保護者の就労の有無を問わない、こども誰でも通園制度」を知ってほしいと思います。

「こども誰でも通園制度」は、(中略)2026年度から子ども・子育て支援法に基づく新たな給付として全国の自治体において実施されます。

(出典:こども家庭庁「こども誰でも通園制度について」

始まったばかりの制度ですから、各自治体や保育園で受け入れ準備、体制を整えつつ、順次実施していっているところかと思います。利用方法等は、お住いの自治体のホームページで検索してみてください。

子育ては家族だけで抱え込むものではなく、社会のしくみで支えることが大切だと思いますので、この制度が社会のしくみの一つとして普及していってほしいと思います。

ChatGPT Images 2.0にて生成

「社会のしくみで支える」ということについて、私の過去の経験と今まさに経験していることから考えたことを書いてみたいと思います。

子どもが遊んでいたら、通報された

うちの子どもたちが保育園児だったときのことです。子どもたちが路上で遊んでいたら、近隣の住民から通報され、警察に事情を聞かれ、書面への署名を求められたことがありました。

そのときの状況は、幼児が2人で追いかけっこをしていて、キャッキャと声をあげて走り回っていただけ。住民は、おそらく騒音だとして通報したのだと思います(警察は通報理由をはっきりとは教えてくれませんでした)。

対応してくれた警察の方は、「通報されたら、私たちは動かないとなりません。遊んでいるだけですよね。ただ、通報した住民に報告をしないとならないので、この書面の内容を確認して、署名をお願いします。ほんとうに申し訳ありません」と、詫びる必要などないのに、詫びてくれたのでした。

そのとき私が感じたのは、今の社会で子どもを育てることは息苦しいな、子育てしている家族に冷たい社会だな、ということでした。うるさいと思ったのなら、直接ひと声かけてくれたらよかったのに、とも思いました。

「行かないで」という声が聞こえる

ここ数年、近隣のマンションのどこかから、週に数回、夕方に泣き叫ぶ子どもの声が聞こえます。かすかに聞き取れることばは「行かないで」です。

これが「やめてー」などだったら、虐待を疑って通報するかもしれません。けれど「行かないでー」なので、夜勤に出かける親に向けたことばなのかな、と思っています。

私はこのように判断して通報していません。けれど、かつて私たち家族を通報した住民が、このご家庭を騒音、もしくは虐待の疑いとして通報する可能性もあります。そうなれば、このご家庭も、私と同じような思いをするかもしれません。

べき論でいえば、私には通報義務があるのかもしれない

すべての国民には、児童虐待の通告(通報)義務が課されています。児童虐待の防止等に関する法律 第6条は、こう定めています。

児童虐待を受けたと思われる児童を発見した者は、速やかに、これを市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所又は児童委員を介して(中略)通告しなければならない。

(出典:こども家庭庁「児童虐待防止対策」 / 児童虐待の防止等に関する法律 第6条)

べき論でいえば、週に数回の泣き叫びを聞いている私には、通報義務があるのかもしれません。もしくは、かつて私が「直接声をかけてくれたら」と感じたように、私のほうから「大丈夫?」と声をかければいいのかもしれません。

ただ、どのマンションの、どの部屋からの声なのかを特定するのは難しいことです。特定できたとしても、見ず知らずの人間が突然訪ねていったら、警戒されるどころか、逆にこちらが通報されてしまうかもしれません。

近隣でも顔が見えない、という前提に立つ

近隣に住んでいても、顔が見えません。名前も知りません。マンションが立ち並ぶ地域では、住民の入れ替わりも多く、すべての人と顔なじみになるのは現実的ではありません。

このような状況で、「べき論」で「虐待の可能性を完全には否定できないなら通報すべきだ」と言い切れるのでしょうか?同じように悩む人も少なからずいるのではないでしょうか。

通報されるリスクを恐れるようになると、家族としてのリスクを下げるために、親はできるだけ子どもとの接触を避けるしかないと考えてしまうかもしれません。コミュニケーションを取らなければ、疑われないからです。もしくは、音が漏れないように暮らしを密室化させ、結果として、本当に助けが必要な虐待が埋もれてしまうかもしれません。でも、それでは、家族の幸せにはつながらないと危惧します。

第三の道は「しくみ」で支えること

べき論で一律に通報することでもなく、法律の義務のはざまで個人が悩みを抱え込むことでもない。第三の道は、社会的な機能で家族を支えることだと、私は思います。なんのために国民に虐待の通報義務が課されたかといえば、子どもと家族を守るためだからです。

冒頭でふれた「こども誰でも通園制度」も、その社会的なしくみの一つになりうると思います。通報するか、声をかけるか、見て見ぬふりをするか——その三択で個人が悩み続けるのではなく、家族が日常的に社会とつながれる入り口があること。「行かないで」と泣く子と、その親が、誰かと顔を合わせられる場があること。

ChatGPT Images 2.0にて生成

近隣住民がお互いの家族に気持ちを向けつつも、こうした制度が、誰にでも利用され、社会で家族を支えるしくみの一つとして定着していくことを私は願っています。そして、私は、近所のおせっかいおばさんとして、地域の子どもたちを見守り、声をかけていきたいと改めて思っています。

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